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弾劾裁判所の歴史 / 昭和50年代

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1 概観
2 罷免訴追事件
3 裁判官弾劾関係法規の制定と改正
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1 概観

 昭和50年代には、罷免訴追事件が2件あり、弾劾裁判所は、いずれも罷免の判決を宣告しました。

 法制面では、最高裁判所長官から訴追請求されていた簡易裁判所判事が町長選挙に立候補し、公職選挙法の適用によって自動的に裁判官の身分を失ったことにより、訴追委員会の審査の対象から逃れるということがあり、これを契機に弾劾法が改正されました。また、弾劾規則の大幅な改正が行なわれました。

 庁舎の関係では、昭和51年6月、弾劾裁判所が参議院第二別館内に移転し、現在に至っています。ここには、法廷、裁判長室、事務局室など、弾劾裁判所のすべての施設が集まっています。

2 罷免訴追事件

1) 京都地方裁判所判事補に対する事件

ア 訴追されるまでの経過

 昭和51年10月22日付け読売新聞朝刊が、当時大きな問題となっていたいわゆるロッキード事件に関連して、京都地方裁判所の判事補が、8月4日に、検事総長の名前をかたり、内閣総理大臣に指揮権発動を促す電話をかけていたと報じました。最高裁判所は、調査委員会を設置し、11月19日、訴追委員会に対し、同判事補の罷免訴追を請求しました。

 訴追委員会は、最高裁判所長官からの訴追請求のほか、弁護士からの訴追請求も受理しており、調査の結果、同判事補を訴追することを決定し、翌52年2月2日、弾劾裁判所に訴追状を提出しました。

 訴追事由の要旨は、次のとおりです。

訴追の事由
 検事総長の名をかたり現職内閣総理大臣に電話をかけ、前内閣総理大臣の関係する汚職事件に関して虚偽の捜査状況を報告した上、前内閣総理大臣らの起訴並びに逮捕の取り扱いについて直接の裁断を仰ぎたいと告げ、裁断の言質を引き出そうと種々の問答を行ない、これを録音した者があった。
 被訴追者は、その録音テープが、検事総長の名をかたった謀略によるにせ電話の内容であること、電話の内容が新聞で報道されれば政治的に大きな影響を与えることを認識しながら、録音テープを新聞記者に聞かせた。
 

イ 審理経過

 弾劾裁判所は、2月9日、同判事補の職務停止を決定し、第1回公判期日を同月21日と指定しました。そして、同判事補に対し、第1回公判期日召喚状の特別送達(訴訟上の書類を訴訟関係人に一定の方式で交付し、又は交付の機会を与えることで、郵便配達員が報告書を作成する特別の配達方法によるもの。のことです。)を試みましたが、送達できなかったため、弾劾規則51条1項(同規則では、被訴追者や弁護人は、書類の送達を受けるため、書面でその住居等を弾劾裁判所に届け出なくてはなりませんが、その届出がないときは、書類を書留郵便で送達することができます。)により、書留郵便による送達を行ないました(同判事補は、まだ送達を受ける住居を届け出ていませんでした。)。また、同月14日には、弾劾裁判所の参事が、その構内において、同判事補本人に第1回公判期日を口頭で通知しました。

 ところが、第1回公判期日当日、同判事補は記者会見を行ない、召喚状を受け取っていないので公判には出頭しないと表明しました。このためやむなく被訴追者不出頭のまま開廷し、冒頭、同判事補に対する第1回公判期日の召喚手続は適法に行なわれており、同判事補の本日の不出頭は正当な理由のないものであると判断すると宣言しました。ただ、審理は行なわず、第2回から第4回までの公判期日を指定したのみで閉廷しました。

 第2回公判は、2月25日に開かれましたが、同判事補はこの日も出頭せず、第1回公判のときと同様、記者会見を行ない、第1回公判期日の召喚手続のミスが是正されていない以上、第2回公判期日の召喚も無効である、また、週2回の公判は強行な日程であるなどと主張しました。しかし、弾劾裁判所は、正当な理由のない不出頭であると認め、審理に入りました。その後、3月11日の第5回公判まで審理が行なわれましたが、いずれの期日も、同判事補の正当な理由のない不出頭という状態でした。審理においては、4名の証人尋問が行なわれ、また、同判事補の訴追委員会での供述の録音テープが再生されました。

 この事件は、被訴追者不出頭のまま裁判が進行するという異例の事態をたどりましたが、3月22日、同判事補から弁論再開請求がありました。弾劾裁判所は、翌23日、これを却下し、罷免の判決が宣告されました。

 判決理由の要旨は、次のとおりです。

弾劾裁判所の判断
 訴追事由の事実を認定し、政治的策動にかかわったもので、単に道徳的に非難されるべきものにとどまらず、余りにも深く政治の問題に関与したというべきで、国民の信頼に背き、甚だしく裁判官としての威信を失墜させた行為で、弾劾法2条2号に該当する。
 
2) 東京地方裁判所判事補に対する事件

ア 訴追されるまでの経過

 昭和56年3月29日の新聞紙上で、東京地方裁判所判事補が、同地方裁判所で破産事件を担当していた当時、破産宣告を受けた会社が経営するゴルフ場で破産管財人らと現場検証を理由に無料でゴルフをしていたと報じられました。

 最高裁判所は、調査委員会を設置し、4月17日、訴追委員会に対し、同判事補の罷免訴追を請求しました。

 4月21日、東京地方検察庁特捜部は、同判事補を収賄容疑で逮捕しました。現職裁判官の逮捕は初めてのことであり、国民に衝撃を与えました。同判事補は、5月12日、処分保留のまま一旦釈放されました。

 訴追委員会は、調査の結果、同判事補を訴追することを決定し、5月27日、弾劾裁判所に訴追状を提出しました。

 訴追事由の要旨は、次のとおりです。

訴追の事由
 担当する破産事件の破産管財人からゴルフクラブ2本、ゴルフ道具1セット、キャディバッグ1個と背広2着の供与を受けた。
 

イ 審理経過

 弾劾裁判所は、5月29日、同判事補の職務停止を決定し、6月23日、第1回公判を開きました。この事件では、同判事補が訴追事実を全面的に認めたため、情状関係の立証を中心として審理が進みました。9月30日の第5回公判で結審するまでの間、延べ7名の証人尋問が行なわれました。

 11月6日の判決宣告期日の冒頭、弁護人から、判決の内容が事前に漏洩しており、これから宣告する判決は無効である、もし従来の審理に基づいて判決を宣告するなら、改めて合議を行なった上で判決宣告期日を指定されたい、との申立てがなされました。しかし、上村千一郎(読み。うえむら せんいちろう)裁判長は、昨日の記者会見は、予定どおり今日判決を宣告することを述べただけで、判決の内容には一切触れていないとして、申立てを認めませんでした。

 続いて、弁護人は、同裁判長には判決の内容を事前に漏洩した疑いがあるので、裁判員としての適格性を欠いており、また、不公平な裁判をするおそれがあるとして、同裁判長に対する忌避の申立てをしましたが、弾劾裁判所は、申立てには理由がないとして、却下しました。そこで、出席していた弁護人全員が辞意を表明して退廷しましたが、同裁判長は、そのまま罷免の判決を宣告しました。

 判決理由の要旨は、次のとおりです。

弾劾裁判所の判断
 訴追事由の事実を認定し、刑法197条1項の収賄罪に該当する疑いも消しがたく、職務上の義務に著しく違反するにとどまらず、倫理的にも許されない行為であって、国民の信頼に背き、裁判官としての威信を甚だしく失墜したもので、弾劾法2条2号に該当する。
 

3 裁判官弾劾関係法規の制定と改正

 この年代における関係法規の改正等のうち、主なものは次のとおりです。

1) 弾劾法の改正

昭和56年の改正(同年法律第66号)
 昭和55年9月10日、最高裁判所長官が訴追委員会に対して、訴追請求していた簡易裁判所判事が、町長選挙に立候補しました。公職選挙法90条の規定により、裁判官の身分を失ったため、10月17日、訴追委員会は審査打切りの決定を行ないました。弾劾裁判による罷免の場合には、退職手当受給資格の喪失等の不利益がともなうのに対し、公職への立候補による退職の場合にはこのような不利益がともなわないことから、同判事の行為は、結果的には裁判官弾劾制度を形骸化させるものとして批判されました。

 弾劾裁判所においては、昭和52年の罷免訴追事件を契機として、弾劾法と弾劾規則の改正作業を進めていましたが、こうした事態の再発防止のための弾劾法改正が急務となりました。

 このため、最高裁判所や関係省庁とも協議のうえ、昭和55年11月27日の裁判員会議において、最高裁判所から罷免の訴追を求められている裁判官、又は訴追委員会から罷免の訴追をされている裁判官には、公職選挙法90条の規定を適用しないことを定める弾劾法一部改正案(41条の2追加)が決定され、同改正案は衆参両院の審議を経て、翌56年6月3日に成立しました。

2) 弾劾規則の改正

昭和59年の改正
 昭和59年3月29日、資格回復裁判の請求取り下げ規定の新設(127条の2追加)、証人の尋問調書への裁判長の押印規定の簡略化等(32条、33条、35条、37条)、裁判員の忌避に関する特則規定の削除(6条)等を内容とする弾劾規則の一部改正規則が施行されました。

3) 裁判官弾劾裁判所傍聴規則の制定

昭和56年の制定
 昭和56年5月1日、裁判官弾劾裁判所傍聴規則が公布、施行されました。その内容は、司法裁判所の傍聴規則とほぼ同様なものとなっています。
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